狸環神さま(りわがみさま)

1章 雨ときどきコーヒー

目の前に一枚の写真がある。
その写真の中には満面の笑みの男の子が写ってる。
「あれから40年経つのか」
男がつぶやく。

あれは2日前の事だった。
男は喫茶店から外を眺めていた。
突然の雨で雨宿りにこの喫茶店に入ったのだった。
「雨が降るって言ってたか?」
恨めしそうに外を眺めていると。
「お待たせしました」
注文していたコーヒーが届けられた。
「雨、結構降ってますね」
女の子がつぶやく。
オーナーなのだろうか、店にはこの女の子しかいない。
「そうだね、運よくここに入ったから良かったけど。入ってなければ今頃ずぶ濡れになってたかもね」
「うちもこんな天気だと暇なのでお客さんが入ってくれて助かりました」
にこっと女の子はほほ笑むとカウンターの方へ戻っていく。
その笑顔で憂鬱だった気分が晴れる気がした。
外を眺めながら淹れたてのコーヒーを楽しむ。
店内はひと昔前の古き良き時代を思い出させる落ち着いた感じで統一されていた。
「こんな話ご存じですか?」
カウンターから女の子が話を振ってきた。
「え?」
男はカウンターに目を向ける。
女の子はカウンターから近くの席にコーヒー片手にやってきた。
「これは姉から聞いた話なんですが」
と女の子は話し始めた。

2章 狸環神さま信仰

今から10年ぐらい前、とある女の子が親戚の家へ遊びに行った時のこと。
K県の少し西にあるS市、そこはきれいな川が流れ森林も多く自然豊かな所で古い信仰も残っていました。
その地域には“狸環神さま”といわれる言い伝えがあり、その狸環神さまを信仰の対象としていたと言います。
地域の人は詳しく教えてくれなかったようですが、この地域では夜かくれんぼをしてはいけない、かくれんぼをすると誰かが消えてしまうからという言い伝えがあると。
ただ、この地域はその狸環神さまの恩恵で繁栄は約束されてきたのだと。

そこまでの話を聞いた男は。
「その後どうなったのです?」
女の子に問いかける。
「どうもならないですよ、その女の子は夜にその親戚の家の子にかくれんぼを誘われたけど怖くてやらなかったみたいです」
「てっきり怪談話かと思ったら何もなかった話な訳だ」
少しがっかりした男だったけれど。
「そ、れ、が!」
女の子は少し勿体ぶりながら話を続けた。
「夜その女の子が寝てると何処かから声が聞こえてきたみたいで・・・」
男はコーヒーを口に持っていくのを止め女の子に向き直す。
女の子は少し声を落として。
「もういいかい」
男の方に無表情で呟いて見せた。
「って、声が聞こえたんだとか」
女の子はコーヒーを一口飲んで話を続けた。
「まぁ、怖くて女の子はそのあと布団に包まって朝まで返事もせずに震えてただけみたい」
ふぅっとため息ひとつ。
「それ以来怖くてその親戚の家に行くことは無かったみたいです」
がっかり気味に女の子は言う。
「じゃ、何もなかったんだ?声だけで」
「そうなんですよ、何もなかったんですよ。私としては何かあって欲しかったんだけど残念ながら何もなかったんです」
本当に残念そうな女の子。
「怖がらせるためにその親戚の家の子がその女の子に夜中“もういいかい”って言ってたみたいですが、女の子は怖い話が嫌いな子だったから布団被ったままだったんです。話のその女の子ってうちの姉なんですけどね」
そう言いながら女の子は申し訳なさそうにしていた。
「きみはその家にはいかなかったの?」
男が問いかけると。
「あゝ、その時私は体調崩してて行けなかったんです。私ならかくれんぼやってたんですけどね」
女の子はカウンターへと歩いて行った。
男はちょっとつまらなそうにしていたが、また外の雨に視線を戻した。
コーヒーを淹れなおして女の子は戻ってくると。
「雨止みそうにないですね、もし良かったら傘余ってるので使ってください」
男は外を見ながら。
「ありがとう、このまま止まないようなら借りていきます」
外は突然の雨がずっと降り続けている。

3章 再会

男は引き出しから一枚の写真を取り出した。
神社の境内だろうか、そこに一人の男の子が満面の笑みを浮かべている。
その手にはクワガタを捕まえている、クワガタを捕まえて“どうだ!”と言わんばかりの笑顔なのだろう。
「あれから40年経つのか」
男がつぶやく。
「久しぶりに会いに行ってみるか」

男はK県S市に来ていた。
「さて、まだあいつなんだろうか?」
男は何か意味ありげにつぶやくと迷うことなく森の奥にある社へと向かっていった。

長い間放置されたのかと思うぐらいに社はボロボロになっていた。
「古くからの信仰ね・・・、廃れたに近いな」
どこか懐かしそうに男は社やその周辺を見回している。
すると、男の後ろから人影が現れた。
男は振り向くことなくその人影に言う。
「悪いが無理だぞ」
人影は男をずっと見つめている。
男がゆっくりと人影に振り向き近づいていく。
「何だ、まだお前だったのか」
男は人影に語り掛けた。
「まぁ仕方ないか、こうも寂れてしまうとな。ここらも限界集落に近いだろう」
人影はずっと男を見ている、だがその目は物凄い怒りが込められて睨みつけているように思えた。
「本当に俺は運が良かったんだな、お前が現れるまで100年待ったんだから」
二人は向き合ったまま静かに風が流れていく。
「もしかすると、おまえで狸環神さまも終わるのかもな」
そう言うと男の口元が微かに笑みを浮かべているように見えた。
「返せ!」
人影は男に強い口調で言った。
「無理に決まってるだろう、俺は役目を終えておまえが今の狸環神さまだからな」
男は人影に冷たい口調でさらに続ける。
「だいたいチャンスはあったんだろう、女の子が来てたみたいじゃないか。そのチャンス無駄にしたのはおまえだろ?」
人影は黙ったまま男を睨みつけていた。
「おまえが居るから見てみろこの自然豊かな景色を」
男は手で指し示すようにぐるっと一回りする。
そして人影の耳元で囁いた。
「おまえが居るからだ」
人影の耳元から離れると男はなおも続けた。
「この土地はな俺やおまえみたいな身代わりが居たからこうして暮らしてこれたんだ。何の災害もなく、何の不自由もなく、昔からずっとずっと続いてきたんだ」
人影が男を睨んだまま。
「何で僕だったんだ」
その目から今にも涙がこぼれそうになっていた。
「何で?」
少し男は考えて。
「おまえが俺の声を聴いたからだろ。そしてその声に応えた」
男はやれやれという態度で続ける。
「おまえも分かってるだろう、この地域にある狸環神さまの言い伝えを。夜かくれんぼをすれば誰かがいなくなる。まぁ正確に言えば夢の中の言霊に応えてかくれんぼをすればだけどな」
男はボロボロになった境内の入口に腰を下ろした。
「この地域は昔から身代わりが居て成り立ってた、その身代わりは声を聴いた者しかなれない。聴いた者は翌日人が変わったようになってしまう事から狸に化かされたとか、狸に導かれてもう一つの現世から環をくぐりやってくると考えられてた。実際は歴代の身代わりになった人物と中身が入れ替わってるだけなんだけどな」
男は自分と人影を指さしながら。
「俺たちみたいに」
人影が男の所まで歩いてくる、その姿はまだ幼く見えた。
「入れ替わっても分かり難いように子供に限定されるんだ。一番最初はそれこそ生贄みたいな感じだったんだんだろう?その最初の人物がたまたま土地神としての役目を終えた時にやり直せるように神様がチャンスをくれたのかもな」
人影だった幼きモノは男の前に立ち、少し悲しげなに見つめていた。
「じゃ、ぼくは・・・」
「次を探せ。役目を終えたおれがまたおまえと入れ替わる事はできない」
男は男の子にそう言うと立ち上がり。
「このままだとお前が本当に最後の狸環神さまになるかもな?」
その一言を残し男は去って行った。
残された男の子は社を見つめる事しかできなかった。
「りわがみさまって・・・」
その後この男の子がどうなったのかは分からない。
今も誰かを待っているのか?それとも。






もういいかい