爪
カリカリカリカリ
ギーー、ガリッ
ここに引っ越してきて数か月が過ぎた、はじめは何の音か分からなかったが、どうやら隣の部屋の住人が壁を爪で引っ搔いているようだ。
それが毎日毎日と続く、時間はバラバラで真夜中でも平気でやってくる。
自分の部屋は角部屋になっているから確実に隣の部屋からだと分かる、何度か大家さんに連絡して隣の住人に注意をしてもらったが止む気配がない。
大家さんが言うには隣の住人は何もしていないと言っているみたいだ、しかも大家さんに確認してもらおうとする時は感づいているのか引っ掻くことをしない。
カリカリカリカリ
ギーー
カリカリカリカリ
ガリッ、カリカリ
「あゝ、もううるせぇ!」
隣の部屋に向かって叫んだ。
ギーーーーー
ギーーーーー
ドン!
壁を思いっきり叩いたような音がして、一瞬ビクッとなった。
「な、なんだよ。毎日ガリガリうるさいのが悪いんだろうが」
段々と腹が立ってきた。
「そっちがその気ならやってやろうじゃないか」
大家さんに連絡を入れ来てもらい、一緒に隣の家に行くことにした。
「前から言ってるけど本人はやってないって言ってるからね」
大家さんは面倒そうにぼやいた。
「今日なんて壁叩いてきたんですよ、もう限界ですって」
コンコンコン
「大家ですけど、お話があるので出てきてくれますか」
ドアをノックして呼び出すが隣の住人は出てこない。
「この時間は居ないはずなんだけどねぇ」
大家さんがこちらを向いて言った。
「そんなはずないですよ、さっきからガリガリうるさかったんですから」
もう一度大家さんが呼びかけるが出てこない。
「ほら、この時間は居ないんだって」
「居留守使ってるかもしれないじゃないですか、鍵開けるなりして確認してください」
大家さんに言い寄るが。
「さすがにそこまではね・・・」
そんな会話をしている時にブツブツと呟きながら目が少しうつろで痩せた人物と、対照的にガッチリとした体格の健康そうな二人組がこちらに向かってきた。
そのガッチリとした体格の人物が。
「どうかしましたか?」
と話しかけてきた。
大家さんはそのガッチリとした体格の人物にいきさつを話している。
隣の住人なのかも知れない。
「ははは、そりゃないですよ。だってこの人と出かけてたので」
ガッチリとした体格の人物は笑いながらこちらに話しかけてきた。
「今まで私と一緒に外に出てたので彼が家に居なかったのは確かですよ」
どうやらブツブツと呟いてる人物が隣の住人のようだ。
それはそれで危ない奴じゃないのか?そんな事を思っていると。
「これで疑いは晴れたでしょ、お隣じゃないって」
大家さんに言われたが納得がいかなかった。
「一応部屋見せてください」
そういうと、大家さんとガッチリとした体格の人物は顔を見合わせて呆れた様子だったが、それで納得できるならと部屋を見せてくれる事になった。
ドアが開くとガッチリとした体格の人物が手で誘導しながら、さぁどうぞと招き入れた。
玄関に入ると、部屋の中が全部見えた。
間取りが一緒なので当然だけど、ワンルームの小さな部屋にはほとんど何も置かれていなかった。
自分と同じであまり物を置かない、いわゆるミニマリストと呼ばれる部類にはいる人物のようだった。
「ね?他に誰もいないから彼が壁を引っ掻くことはできないでしょ」
確かに、部屋には誰も居ない、殺風景な部屋に誰かが隠れる事もできない。
じゃ、あの音は何で聞こえるんだ?
原因が分からないが、隣の住人ではない事はこれで証明されてしまった。
「すみません、疑ってしまって。彼じゃないとしたら鼠とかなんでしょうか?」
大家さんに聞くと、首を横に振りながら。
「この建物はコンクリで壁が仕切られているからそれは考えられないよ。それに防音もしてあるから隣の部屋の音もほとんど聞こえてこないはずだよ」
確かに大家さんの言う通り、この建物のドアも分厚い。
通路で喋っていてもあまり聞こえてこないぐらいに防音はしっかりとされている。
「さぁ、自分の部屋に戻って。何もなかったんだから」
大家さんに言われるままに自分の部屋へと戻る、部屋に入る前に隣をチラッと見ると、隣の住人もブツブツと相変わらず何かを呟きながら部屋に入っていった。
ガッチリとした体格の人物はそれを見届けると、大家さんと話しながら帰って行った。
カリカリカリカリ
ガリッガリッ
ギーーガリッ
相変わらず壁を引っ掻く音が聞こえてくる。
昼夜問わず聞こえては止み、聞こえては止みを繰り返している。
このままだと頭がおかしくなりそうだ。
段々と睡眠も不規則になってきた、その為か頭がボーとしてくる時間も増えてきたように思える。
「もう止めてくれ」
頭を抱えながら部屋の片隅で膝を抱える。
ガリッ
カリカリカリ
ガリッ
ギーー
カリカリカリ
段々と引っ掻く音は長くなってきたように感じる。
「なんなんだよ・・・幻聴とでもいうのかよ」
いつ頃からだろうか?
視線を感じる、体にねっとりと絡みつくような視線。
「どこから見てんだよ」
部屋を見渡す、最初のうちは分からなかったが連日探しているとその視線はドアの近くからずっとこっちを見ている事に気づいた。
そして、壁に手をやりゆっくりと爪で引っ掻く。
カリカリカリカリ
カリカリカリカリ
ギーー
ギーー
不規則に爪で壁を引っ掻いていく。
「なんなんだよ!何がしたいんだよ!」
大声で叫んだ。
うつむいているのか、その人物の顔が見えない。
その事が余計に不安に繋がる、まるで感情など無くただ爪で壁を引っ掻いていく。
「うわぁ!!誰か助けて!!」
叫び続けた、言い表すことのできない恐怖の中。
その声を聞きつけて大家さんが入ってきた。
「どうしたの、ちょっと落ち着いて」
大家さんの声が遠くから聞こえてる、目の前にいるはずなのに。
「誰か・・・誰か来て」
まるで水の中に居るような聞こえ方をしていた。
段々と大家さんの声も聞こえなくなり、ねっとりと絡みつくような視線だけ感じる。
体中にぐるぐると絡みついてくる、振りほどこうとするがうまく離れない。
振り払う自分の手が視界に入ってきてその手を見たときゾッとした。
その手は爪が何本か剥がれ、両手は血だらけになっていた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!離せ!!」
必死で振り払うけど体は次第に身動きが取れなくなり、意識も失われていった。
「何とか落ち着きましたね」
ガッチリとした体格の白衣の人物が言った。
「そうね、いずれ拘束衣が必要になるかも?」
「最近様子がおかしかったから、悪化しているのかもしれないですね」
ふ~とガッチリとした体格の白衣の人物が一息つく。
つられて白衣の女性も注射器を片付けながら一息ついた。
「また壁を掃除しないと血だらけね」